とりあえず留学してみる大学生

留学や海外で働くことに興味がある数理科学系に所属する大学3年生です。

京大志望(笑)の末路

2019年2月25日、僕は信州大学にいた。

「なぜここに俺はいるんだ?お前は京都大学にいるはずじゃなかったのか?」

自問自答する。僕は悔しさに歯を噛み締めただろうか?いや、そんなことは無い。

その時には、大学受験の現実と自分の実力を正しく再認識していたからだ。僕が、

京都大学に行きたい!」

と言っていたのは見栄だったのだろう。高校には自分と似通った学力の人がほとんどだった。そこで個性を出すには、圧倒的な能力だとか奇行や言動をするしかない。そこで僕が選んだのは言動だったのだろう。冗談で”京大”と言っていた訳ではなかったのだがその目標に見合った勉強はできなかったし学力も無かった。その結果、センター試験の点数は67~68%程だった。平均くらいだ。一応国立大学には行ける点数だったのでどこにしようかとなった。センター試験の点数が出るまでは本当に行きたい大学が無かった為、大学調べも熱心にしていなかった。センター試験の点数が出た後、ようやくどこに出願するかとなった。数学科の国立大学であればまあどこでも良いかとなった。しかし、出来れば都会出来るだけ偏差値が高いところがいいだろうと思った。センターリサーチではE判定だが埼玉大や千葉大なんか良いなと思った。勿論出願する候補にはできなかったがこういう時はちょっと上のランクの大学が輝いて見えるものだ。東大とか京大とかは上すぎて見えなかった。高二の時は、目の前にあった京都大学が全く見えないなんて凄い皮肉だなと受験の現実を思い知った。流石にこの時は悔しかった。(この後に及んで減らず口)そこでC判定くらいのところなら受かるだろうと思い信州大学理学部数学科に出願することにした。その他の候補に新潟大学の理学部理学科にしようと思ったが高校のクラスメートで出願する人がそれなりにいたのでそれは敬遠することにした。こんなに上から目線で出願する大学を決めているが一応言っておくと信州大学はDよりのC判定(合格率35%)で新潟大学はほぼD(合格率30%)だった。ここでも見栄を張ってしまっている。出願を決める前に信州大学がどんなものか一目見ておこうと思い1月26日に信州大学オープンキャンパスに一人で行った。これは、僕が下見に行きたいと行った訳ではなく母が下見に行くことを勧めてくれた。母のこの行為は、出願するのを本当にその大学で良いのかということを僕自身にはっきり決めさせるという狙いがあった。母は僕のテキトーな大学選びを見抜いていたのだ。新幹線と特急を使って地元から信州大学のある松本市まで行くのには1万5千円程かかり往復で3万円ほどかかった。この費用は母に負担してもらった為、将来的に返したいと思う。感想としては、普段だったら行く機会のない県に行くことが出来て良かった。と言いたいところだが、観光が目的では無いからそういう訳にはいかない。正直な感想を書かせてもらうと、通いたいと思う大学だとは思わなかった。それならば、地元のA判定の国立大学に出願した方が良いのではないかとも思ったがここまでして調子の良いことは言えまいと思い半分怠惰な気持ちで信州大学に出願することに決めた。受験日が近づくにつれて出願状況が公開され僕が出願する数学科は志願者数は定員に対して5.7倍であった。(実際の受験者は100人程減り倍率3.8倍であったようだ)

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平成31年度出願状況

周囲の友人には励ましてもらえたが精神的には結構辛かった。ここに来て浪人したく無いという思いが溢れてきて焦りが募った。1カ月間の間していたことは、微分積分複素数、ベクトル、数列辺りに注力して対策していた。積分の求積問題は出るだろうと思っていた(実際に出た)。過去問の等式を示す問題の対策に苦戦した。解答を見て理解力をつけて新たな問題に挑戦するを繰り返したがあまり成果は得られなかった(出なかったなw)。しかし、約1カ月の努力虚しく信州大学理学部数学科には落ちた。多分、ベクトルの問題で正答できず合否を決した。3月6日の発表で合否を発表から30分ほど空けて確認した(ビビっていた為)。それまで合格か不合格かの反復横跳びを脳内で繰り返していた為、結果を見て自分が落ちた後の虚無感と共に体から重りが一気に外れて身軽になるような感覚もあった。

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番号はなかった


しかし、それと同時に国立大学後期試験に直面することが確定した。ちなみに国立大学の後期試験は秋田大学理工学部数理・電気電子情報学科に出願した。センターリサーチの判定はA判定だった。試験内容は面接のみでほぼセンター試験の点数で決まるようなものだった。試験日は3月12日で前日に秋田駅周辺のリッチモンドホテルに母と前入りした。前日は秋田大学まで下見に行き駅構内を見て回りラーメンを食べホテルに戻り面接練習を脳内で行い25時頃に就寝した。当日はホテルから大学まで徒歩で向かい試験場に足を踏み入れた。ちなみに制服でいった。待合室には80人ほどいたように思う。そこから3つの教室に分けられさらに待たされた。各教室25人ちょっとの受験者が教室内で3グループに分けられ各グループの受験者が一人ずつ面接をしていく流れだった。僕は2つ目のグループの最後の受験者だった為、僕の出番がくる頃には教室内はすっからかんだった。面接は2人の面接官と向かい合わせになり質問に答えていくような形式だった。質問内容は、なぜこの大学のこの学科なのかとかレポートの提出が遅れた時どうするかとか今後の進路計画、留学に関する考えなどであった。数学、物理の口頭試問がされると過去のデータで記載されていた為、待ち構えていたのだがそのような学術的な質問はされなかった。良かった。そして、日が経ち3月21日に合格発表をiPadでみた。13時に発表され13時2分には合格を確認して一安心していた。その後は、高校の担任や母や祖母、友人に合格の報告をした。それからは一週間ほどで家探しや生活用品を買い集め大急ぎで新生活の準備を行なった。最後まで母には休む間も無く面倒を見てもらった。面倒だとは思っていないだろうが母への感謝は今後忘れないようにしたい。そういえば、高校受験の時も受験終了後に母に何度も感謝の言葉を伝えた記憶がある。高校受験もダメだったが(笑)。

 

こんな感じでなんとか大学生になれました。今後、たまにブログを書くことがあると思います。ここまで長々と読んでくれた方々、ありがとうございました。